このごろの床掃除
端の方はネコも人も通らないせいか傷が少ない。こんなところはまれなのだが...
北欧ミステリーの「ミレニアム」を再読していたら、「石鹸で床を磨きあげた...」という記述があり、やはり石鹸で床を洗うのは普通に行われているらしい、と改めて確認が出来た。もちろん、それ以上詳しいことは何も書いていなかったのだが...
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端の方はネコも人も通らないせいか傷が少ない。こんなところはまれなのだが...
北欧ミステリーの「ミレニアム」を再読していたら、「石鹸で床を磨きあげた...」という記述があり、やはり石鹸で床を洗うのは普通に行われているらしい、と改めて確認が出来た。もちろん、それ以上詳しいことは何も書いていなかったのだが...
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リビングにソファーが2台、向かい合って配置された。
小さな家にもかかわらずソファーが2台も置けるなんて...!
まったくイメージもしていなかったし、考えてもいなかった。
両方とも一般的なサイズではないとはいえ、
2人が寝転んでそれぞれの位置からテレビを見ることが出来る、
贅沢なツイン態勢が整ってしまった。
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町田にある「武相荘」には、こんな文章が展示されているそうだ。
「無駄のある家」と題されていて....
家を買ったのは、昭和15年で......ごく普通の農家である。
...... それから30年かけて、少しずつ直し、今もまだ直し続けている。
もともと住居はそうしたものなので、これでいい、と満足するときはない。
綿密な計画を立て て、設計してみた所で、
住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。
さりとてあまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、
人間が建築に左右されることになり、 生まれつきだらしのない私は、
そういう窮屈な生活が嫌いなのである。
俗にいわれるように、田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。
いくらでも自由が きくし、いじくり廻せる。
ひと口にいえば、自然の野山のように、無駄が多いのである。
...... 原始的な農家は、私の気ままな暮らしを許してくれる。
三十年近くの間、よく堪えてくれたと有りがたく思っている。
(白州正子『縁あって』「思うこと」よ り)
なるほど「無駄が多い」「自由がきく」かぁ...と考えさせられる言葉が多いのだ。
農家のように大型の家で、なおかつ原始的(あるいは質素)な住まいは、
ごく普通ではなくなってしまった。
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階段前のちょっとしたスペースに机と椅子を置いて、新たな場所ができた。
簡単な打ち合わせ等に丁度良さそうだ。
階段前は動線が混みあうのではと考え、少しスペースが広めになっている。
ある日、仕事関係の来客の予定があり、どこで打合せをしようか?と悩んだ。
通常は2階のリビングなどで打合せもしてしまうのだが、
今回はそこまでの用事ではなかった。とは言え、玄関先というわけにも行かない...
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木々の間を通ってアプローチ....するように見せようと、
周りの人工物をフレームから外して、緑豊かな住まいを演出(捏造)。
手前の緑は自前の植木鉢。向こうに見えるのは隣地の樹木です。
写真の腕はともかく、ちょっとした工夫(?)で出来た緑豊かな住まいの風景写真。
実情は、小さな家が建ち並ぶ住宅地。庭も緑もほとんどありません。
数十年前の記憶をたどると、たとえ小さな家でも緑が多く見られたように思います。
庭はなくても、ちょっとした隣地とのスキマにも緑があったり、
まぁ、雑草に近いようなものも多かったとは思いますが。
最近の新しい家では、家の前だけにちょっと花壇がある程度の家が多いようです。
やはり手入れの問題が大きいのでしょうか。
当家では、家をもう少し小さくして、庭や緑のスペースを増やせばよかったかも...
などと、気まぐれに話すこともあります。(もう無理なんですけど)
豊かな住まいとはどんな住まいだろう?と考えるに
やはり、「緑が豊かな住まい」ではないか、との結論になりがちな今日この頃。
年のせいなのでしょうか?
いやいや、やっぱり暑い暑い夏のせいだろうと思いますが、どうでしょうか?
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夕日が階段のスキマから射し込むと、
まるで間接照明のように... 見えなくも無い....
こんな現象が、きっと毎日起きているのだろう。
日に何度も昇り降りしているのに、意外と気がつかないものだ。
光は本当に、いろいろなことをしてくれる。
以前にはこんな瞬間もあった。
ちなみに、この階段は90度を4分割しているように見えるが、
実際は、一段目を少し突き出させて、一段あたりの角度は24度になっている。
つまり、90度÷4=22.5度より少し大きい(広い)のだ。
この差に意味があるのかどうか...ほとんど誤差のようなものかもしれないし...
とりあえず、すごく登りやすいとはいえないのだが、
登りにくいというわけでもない。
なんとも微妙な塩梅の階段なのだ。
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住宅街のスキマからでも、空を眺められるように・・・
との考えで設計が進むうちに、高い窓が付くことになり、
やがて屋上も姿を現してきたのです。
このように屋外と屋内が縦に重なっているのは、
べつに驚くほどのことでもないんですが、
同時に見ると、なんとなく不思議な感じもします。
写真で白いダイニングテーブルが置いてあるところには、
現在はソファーが置かれています。
そしてテーブルは写真手前部分に移されて、
高窓の下がダイニングスペースになりました。
どうも当家は、時々、模様替えをしたくなる傾向があるようです。
他にもあそこをこうしようなど、楽しみな計画はいろいろあるのですが・・・
時間の方がなかなか厳しいのです。
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横浜で建築中の住宅は軸組が出来上がり、先日、中間検査も終わりました。
この骨組み状態というのは何とも魅力的だな、といつも思います。
その後どうなるかは様々とはいえ・・・
今回のお宅はとても小さな家なんですが、
極端に小さな家というのは、もうそれだけで何か魅力があります。
こんな小さな所に必要なものがちゃんとそろっている!
そんな意外性が魅力になるのでしょう。
さらに行き着くところは小屋暮らしでしょうか?
小さな小屋でシンプルに暮らす、
そんな夢とも願望ともつかないものが確かに自分にもあります。
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指定確認検査機関なるものは、
建築関係者でもないかぎりほとんど知ることはないのでしょう。
ここは建築の確認や検査などを行う機関で、
建物を建てる際に届出を出したりするところなのです。
以前は地方公共団体だけが行っていたのものが、
民営化されて出来たもの。
民営化されると「競争」が生じるためでしょう、
各機関で独自なサービスも開始されている様子。
今回はアンケートに答えて、この扇子をもらってしまいました。(´-`)
銀行でティッシュをくれたりする、あのような感じでしょうか。
でも、これはなかなか嬉しかった。
名前やロゴマークなんかが入ってはいるものの、
普通の扇子に見える程度だし、ちゃんと白檀の香りもするのです。
扇子って改めて見るととても良く出来ている。
たたむと細くてコンパクトになるし、扇ぐと結構、風量もあるんですよね。
とりあえず鞄に入れておくのに丁度いいのです。
今年は、涼を得るために使えそうなものは、なんでも試してみよう、
そんな巷の気配を感じています。
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伊丹十三著「女たちよ!」に出てくる、とても好きな話で、
イギリスの車は、実に当たり前のように油が洩るというのがある。
洩れないようにすることは、そんなに難しいことではない。
しかし、イギリス人とって、油が洩る、ということは欠点ではなく
むしろ、それが必要ですらあるらしいと。
あるエンジニアにこのことを質問してみると、むしろ上機嫌に...
あれは、わざとそうなってるんだよ。
つまり、われわれは、ドライヴァーに、
車というものは決して油が洩らないものだ、
という誤った観念をうえつけたくない。
金属と金属の間にパッキングをはさんで
螺子でしめつけただけのもんだろう。
どんなにそれが完全にできてたって、
なにかの衝撃で、どうゆるみがこないか、
そんなことが保証できるものじゃない。
保証できないとしたら、なまじっか油が洩れない
という印象をあたえるより、
むしろ、車というものは油が洩れるものだ、
一刻も油断ができない、
というふうに考えてもらったほうが故障が少ない、
とわれわれは思うのだ。
それがイギリス人のものの考え方なのだ。
こういう感覚はじつに大切で、あなどってはイケナイと思うのだ。
車にかぎらず、他の乗り物や様々な日用品や建築物や、
さらには、もっと大きなモノにもいえると思うのだ。
建物だって、何しろ、釘やトンカチで作ったものなんだから...(失礼)
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